恐れ入ります、いつものことです。

メランコリックなにゃも雑記

溝は永遠に埋まらない

血がつながっていようとも、一度こじれた関係は修復不可能なのか…といろいろ考える。血がつながっているからといって、考えていることが想像できるというのは信じがたい。本当に子のことをわかっているのか、本当に親のことをわかっているのか、本当に兄弟のことをわかっているのか。

遠くに住んで、違う飯を食らい、別の者と話をし、同じ空気を吸わない環境に何年もいれば、血がつながっていようとも価値観の相違が生じる。先日実家に帰った折、何度も何度も言葉によって傷つけられ、親の価値観のみを押し付けられ、窮屈な思いをしていた頃を思い出して、反吐が出そうになった。結局なんにも変わっていない。

十以上も上の知人が話してくれた。自分は親との関係がこじれているのだと。今もなお、うまく話せないし何の感情もないのだと。その人の話を聞いて、結局、親子の関係は、子が親を許さない限り溝は埋まらないのだと改めて思った。

入院中に同部屋のおばあちゃんがかけてくれた言葉は、“あなたのほうが大人なのよ”だった。ここに深く書くつもりはないけれど、両親は他人を受容することに抵抗があるのだ。抵抗があるというか、抵抗しているわけではないと自分では思っているたちの悪さだ。自分と同じ人ばかりではないことを素直に受け入れられない。そして自分がそう思っているから相手もそう思っているに違いないと、勝手に思うことで一喜一憂している……見返りを求め、自分が良かれと思ってやったことなのに、あの人は喜んでもくれない、と嘆く。人に浴びせた数々の暴力的な言葉を、心の底からあなたのためを思って発した言葉だと思っている。そしてどんどん冷めていく私に追い打ちをかけるように、世間体を気にして、何も悪いことをしていないのに、“おじいちゃんの名前を傷つけないで”と言う。子どもが傷ついていることをくみ取りもせず、先に世間体を気にするんだね。あんたは。

幼い頃から親について(特に母親)、こんなふうに思っていた。たぶん合っている。

だから私は家を飛び出して自由を求めてさまよい続けた。家出をした。家出をしてもなお、くすりをやっているのではないかとバカ丸出しのことを言われ、たまに帰ると蹴られた。自分たちのせいで私が家を飛び出したことに気づかない。バカなんじゃないのかと本気で思った。

あの頃は若かったから…のように、後悔すると思っているのかもしれないが、私はまるで後悔なんてしていないし、あなたたちの世界の狭さにはこりごりである。いろんな話を聴きながら(けして人の話に耳を傾けることはない)、鼻で笑っている。

 

けど、

くそみたいな思いの中で、私は無理をして許そうとしている。

 

溝が埋まるわけないのを知っているのにもかかわらず。