恐れ入ります、いつものことです。

メランコリックなにゃも雑記

いいんだ、それで

 

何がしたいのかわからない。何がしたいんだろう。

きっとわたしの家族は幼い頃から“いい子ぶって”生きていたんだろうって、このあいだいままで出会ったことのないような自由人(おじさん)と世間話をしていたときに、つい口から出てしまった。あっているのだと思う。

 

“きっと、うちの親はずーーっといい子ぶって暮らしていたんですよ”って。

 

悪いことなんか絶対しなくって 冒険もしなくって なーんもおもしろくなくって まじめに生きようと必死で つかれているんじゃないかって

 

誇り高くて、自分のルールにわたしを当てはめようとして、少しはずれるとみみずばれができたり、唇から血が出たり、まぶたが腫れたりした。それでもわたしは自分の家の、そんなバカみたいな誇りからはずれて生きて、家出をしたり、朝に帰って蹴られたりして、ライブハウスでくすりをやって、おかしくなってるんだろうって留守電が入ったりメールが入ったりするたびに、ばかなんじゃないの? って思って、電源を切ったり、顔をあわせるたびに “おじいちゃんの名を汚すな”って言われ続けてきた。

 

いろんな話をすると、こんなふうな環境で、よくふつうに育ったねって、言われることがある。まあ ふつうじゃないんだろうけど。

 

いまかんがえると、孫の手でひっぱたかれたり、雨の日に裸同然に外に出されて締め出されたり、みみずばれができるまで平手打ちをされたりっていうのは虐待だったんじゃないかって

 

おもうことがある。

 

まぁ わたしは生きているから

 

違うんだろうけど。

 

じぶんが大人になったからか、もうじぶんから歩み寄るしかないんだなとおもったら、しぜんと仲は修復していったの、だろうか。家出をしていたころは、もう思春期とかそんな時代ではなくて、立派な大人になってからだっていうのも、こじれていたからなんだと

おもう

 

病気になって、入院しているときも たいへんなことになって、精神が崩壊して窓から飛び降りようとした。

 

かぎが しまっていたから

かぎが。

 

だけど

 

世の中におなじひとは ひとりしかいないしね

わたしはうまれてきちゃったんだし。

どこかで愛はもらっているんだろうから…受容かな

 

って

 

深い海に沈んで、いくんだ、いいんだ、それで。

 

あいたくなったら あいに いけば いいんだ、あえなくても いいんだ、それで。