恐れ入ります、いつものことです。

メランコリックなにゃも雑記

魔法のホットケーキ

体調が芳しくない日。それでもホットケーキはわたしを呼んでいた。

朝から夕方までこころがとってもくさくさして、うなだれて、ふてくされて、眠っていたのだけれど、これじゃあいけないと思い立ち(思いたてたことが立派)、きょう1日ずっと食べたかったホットケーキを求めて玄関を出た。

 

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ホットケーキは、わたしのくさくさした気持ちと、なんとなく調子の悪い身体へ、子ども用シロップのような役割をはたしてくれた。

すこしにっこりとしながらホットケーキをほおばりつつ、読んでいた本を読了する勢いだった。体調も少しだけよくなった気もした。

ありがとう。ホットケーキ。ありがとう。たべたい欲望に素直に従ったわたし。

胃もたれとモレスキン。

最近、胃もたれのような症状が出る。

その昔、食道裂孔ヘルニア(逆流性食道炎の一歩手前)だったので

気をつけないといけません。

 

きょうは胃もたれ・・いもたれ・・もたれ・・もれ・・もれすきん…(無理がありすぎ)のピーナッツボックスを購入したのでメモ程度に記しておきます。

ボックスの中には6冊のノートが入っております。すぐに使いたくなったので、チャーリーブラウンを手にとってさっそく使っています。

用途は振り返りメモ。

しごとでも、プライベートでも気になったものを書き留めていくというメモです。

 

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ひとまず、振り返りジャーナルとして、これだけあれば、しばらくは困らないね。

感性のおもむくままに

いろいろな人がいいと思ったことや、悪いと思ったこと、つまらないと感じたことやおもしろいと感じたことを、知らぬうちにそのまま受け取ってそのまま自分の考えにしてしまうことを嫌って、

または、人の意見に流されて自分の意見を言えなくなったり、私はこっちがいいと思っているのに、多数がその逆がいいと思っているということを知ったがゆえに、自信をもてなくなってしまうことを恐れて(もうなっている…)、

情報をあまり見ないようにしたいな、と常日頃思っているのだけれど、最近興味をもって読み進めている本にもなんだか同じようにもとれることが綴られており、視界が開けたような気がした。

 

 

そうだよな。たぶんきっと、おそらくそうだ。

ぱちん、OFF

連絡をとっていたひとが急にいなくなってしまったが、おもいが通じてか、また連絡をとれるようになった。ほんの何日間か、とてもやるせない気持ちになっていたが、そんなふうに思えることもだいじなことだと、気がついた。

いままであったあたりまえの言葉が流れて来なくなった。ふとした瞬間消えてしまったものに対して、さみしくなったこのあふれる思い。あぁ、本物なのだろうと、そう思ったりした。

こころにぽっかり穴が空いたのだから、わたしはその人のことがすきなのだろうと思う。そしてまたであえたのだから心の底からよかったと思えた。

大阪に行きたい。

おねえちゃんに、会いたいな。

 

違和感があるならやめてしまえばいいのに

ふとした瞬間に、twitterfacebookなどのSNSをやめたいなっておもうことがある。特に要らない情報を目にしたり、写真を目にしたりするたびに、時間の無駄だなぁとおもうことや、ひとしきりネガティブなことをつぶやき続けて自分にも他人にも嫌な思いをさせたり、有意義なことなどないのではないか、などと自問自答を繰り返す日々を送ったこともある(大げさだけれど)。

コメントを返さなくてはならない強迫観念とか、おはよーとかおやすみとかどうでもいいんだけどって、自分も言っているのに嫌なことを思ったり、そこで知り合って結婚しちゃった人がいたり、なんか、よくわからない。でもやっていてよかったことはたくさんあるし、とてもすてきなつながりができたり、やっていなかったら知らなかったことがあったり…ためになることや、今まで知らなかったすてきな人たちと実際に出会えたこともあるので、一概に悪いとは言えない。

だけれど、やめたいなぁとおもって、やめるって言っておきながらやめなかったりもする。

なんなんだろう。なんかこう、違和感があるなら、アカウントを削除してしまえばよいことなのに、それができずにまた違うアカウントをつくったり、何がしたいんだろうって思う。

かつてfacebookを、そして最近twitterとインスタグラムを退会した大好きなおねえちゃま。わたしにはまだ、そこまでの勇気がないみたいです。

すべて叶えてしまったら

今年は、大きな夢ではなく、小さな夢を少しずつ叶えていくという目標をつくって満足感を得る手法で自分を前向きにチェンジしてきたつもりなんだけれど(どこがや)、この小さな夢がぜんぶ叶えられてしまったら、死ぬんじゃないかというか、行き場のない感情にとらわれそうなので、やはり夢というやつは叶えられないものも設定しておいたほうがよいのだろうか、と思うに至る。

しかし、夢(=小さな欲望)というやつは、毎日のなかですぐに見つかるもので尽きることがないうえに、その叶えた瞬間というのも満足感があるものだと思うので(きょうはラーメンが食べたい、とかでもいいんだ←かなわない夢だけど)、無意識のうちに続けていけばよいのではないかな。

と、

これでもいろいろ頭の中、忙しいんだ…

 

感情失禁…まではいかないまでも、最近コントロールに欠けているので、深呼吸します。

いいんだ、それで

 

何がしたいのかわからない。何がしたいんだろう。

きっとわたしの家族は幼い頃から“いい子ぶって”生きていたんだろうって、このあいだいままで出会ったことのないような自由人(おじさん)と世間話をしていたときに、つい口から出てしまった。あっているのだと思う。

 

“きっと、うちの親はずーーっといい子ぶって暮らしていたんですよ”って。

 

悪いことなんか絶対しなくって 冒険もしなくって なーんもおもしろくなくって まじめに生きようと必死で つかれているんじゃないかって

 

誇り高くて、自分のルールにわたしを当てはめようとして、少しはずれるとみみずばれができたり、唇から血が出たり、まぶたが腫れたりした。それでもわたしは自分の家の、そんなバカみたいな誇りからはずれて生きて、家出をしたり、朝に帰って蹴られたりして、ライブハウスでくすりをやって、おかしくなってるんだろうって留守電が入ったりメールが入ったりするたびに、ばかなんじゃないの? って思って、電源を切ったり、顔をあわせるたびに “おじいちゃんの名を汚すな”って言われ続けてきた。

 

いろんな話をすると、こんなふうな環境で、よくふつうに育ったねって、言われることがある。まあ ふつうじゃないんだろうけど。

 

いまかんがえると、孫の手でひっぱたかれたり、雨の日に裸同然に外に出されて締め出されたり、みみずばれができるまで平手打ちをされたりっていうのは虐待だったんじゃないかって

 

おもうことがある。

 

まぁ わたしは生きているから

 

違うんだろうけど。

 

じぶんが大人になったからか、もうじぶんから歩み寄るしかないんだなとおもったら、しぜんと仲は修復していったの、だろうか。家出をしていたころは、もう思春期とかそんな時代ではなくて、立派な大人になってからだっていうのも、こじれていたからなんだと

おもう

 

病気になって、入院しているときも たいへんなことになって、精神が崩壊して窓から飛び降りようとした。

 

かぎが しまっていたから

かぎが。

 

だけど

 

世の中におなじひとは ひとりしかいないしね

わたしはうまれてきちゃったんだし。

どこかで愛はもらっているんだろうから…受容かな

 

って

 

深い海に沈んで、いくんだ、いいんだ、それで。

 

あいたくなったら あいに いけば いいんだ、あえなくても いいんだ、それで。