恐れ入ります、いつものことです。

メランコリックなにゃも雑記

編み物と読書とTwitter

 

寒くなってから編み始めても間に合わないのだけれど、部屋にあった毛糸を使ってニットを編み始めた。もっとちゃんとした毛糸を買ってきてつくろうともおもったのだけれど、ひとまず練習の意味も込めて。

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最近、Twitterを見る時間が激減しました。わたしにはこんなふうに、編み物やら読書やらおしごとやら、お風呂のシャワーカーテンをいちごちゃんにしたりとか、やりたいことがたくさんあるのにTwitterばかり見ていては、それらをする時間がなくなってしまうから。そして、いちばんは、ひとりで考える時間がなくなってしまうから。

思い立ったときにまとめて思いを綴れるモレスキンでのジャーナルや、ブログを書いたりするほうが、秒単位で流れていくTwitterを眺めて自分の意見をつぶやくよりも性に合っているのだということはずいぶん前から思っていたのだけれどね。

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※わたしのくせ = 文章を書きなぐる

 

いまは、多くは自分と同じような難病を抱えた人たちの活動を知るため、または新刊本を知るために、いままでとは別のアカウントをつくって本当に知りたい情報のみ見ることにしている。

ふりかえれば、2010年にTwitterをはじめた理由が、退院してきたばかりで時間をもて余していたからというものだった。それ以前は、むしろTwitterをばかにして生きてきたのに(なにが、“学食なう”だよ、誰に有益があるんだょ、ばかなんじゃないの…フォローするとか気持ち悪いんだけど…暇な人しかできねぇだろー、暇人間おつかれー…などと言っていた・苦笑)、やり始めたらとまらなくなった。そして、自分が思っていたばかになり替わり、本当にばかなことに発展したことがあった。

いまようやく、自分のなかの本来のつかいみちでTwitterを活用できているように思う。だからこそ、見る時間が激減したのだとおもう。

どうでもいいことだけれど。

 

最近読んでいる内田樹さんの『街場の文体論』は本当におもしろい。気持ちよくなって、胸にスッとおりてきて、突き抜けます。感謝です。

 

街場の文体論

街場の文体論