パチン、OFF。さようなら
この1週間バタバタと忙しくしており、ひとりでぼんやり考える時間がまるでつくれなかったのだが、はじめての経験をしたり、よき出会いがあったり、とうとうTwitterのアカウントを削除したり(別のアカウント:病気のことなどをつぶやいたりながめたりするアカウント――はやめていないのだけれど)していた。
相手は何も思っていないのかもしれないし、むしろラッキーだから来いよぐらいに思っていそうだったけれど、わたしはとっても嫌な思いをした。最初から呼ぶつもりもなかったくせに、誰かが来られなくなったからと穴埋め的にわたしを呼ぼうとするとは、ひとの心をなんだと思っているのだろう。
友だちと呼べないうすっぺらい関係のままつながっているのも嫌だなぁとおもった。以前から削除しようとおもってできずにいたものが、この嫌な出来事のおかげであっけなく終わりを告げた。
どうしても表面的なつきあいができない。友だちは少なくてもいいと思っている。薄っぺらく、なんにも知らない人のことを“友だち”とは呼べない。友だちのハードルが高いと言われたことがあるけれど、友だちはハードルが高いものだ。
わたしは自分自身、八方美人ではないと思っている。人に嫌われてもいいと思って生きている。だから、自分が好きな人にも嫌われる。それでもいいや。わたしはこういうつき合い方しかできないのだから。
辞めて清々した。
わたしにはもっとやるべきことがあり、会いたい人がいる。
やりたいことをやり、会いたい人に会うために生きているのだ。
さようなら。もう一生会わないよ。