恐れ入ります、いつものことです。

メランコリックなにゃも雑記

瞑想2012

やる気はあるのだけれど、ないふりをしていたり、発したいのだけれど、我慢をしていたり、知っているのだけれど、知らないふりをしたりしている。

気づいているのだけれど、気づかないふりをして、見なくちゃいけないのに見ていない。おまえいくつだよ、って囁かれている気もするのだけれど、年齢をごまかすつもりは毛頭なくて、けれどきっと、成長が遅いのよって、何年も前からそんなふうに言ってきた。

いいにおいのシャンプーで髪を洗って、新しいワンピースを着てみても部屋が汚かったり、どうせわたしのことなんて、誰もわかっちゃいないのだろうと、鼻を鳴らすのだけれど、じつは見透かされていたり、いつも何かを考えているような顔をしていると言われてみても、思い当たる節がなかったり。

きゅうにくっつきたくなったり、きゅうに離れたくなったり、アドレス全部消したり、仕事関係者の電話に出なかったり、それもこれもぜんぶ自分なんだから誰もわたしのことを好きではなくても自分は好きでいりゃ―いいやって、そうしたら自殺なんかせんでしょう。

きっと人にはさまざまな不安が押し寄せているのでしょう。わたしはなんにも考えないでそこに存在しているただの阿呆のくせに、不安はいたるところから襲ってきて、頭を蝕んだり心を蝕んだり、ときには足だったりして外へ出ることを一歩も許してくれないこともある。

ときが解決するとかいう話は嘘かもしれませんよ、って思ったりもするのだけれど、解決した気になっていた不安は飲みこんでも飲みこんでも出てきて、牛が反芻するかのようです。でもそれは同じものが出てきているわけではないことに、いずれ気づくのだと。あぁ、以前の不安はむしろ消え去ってじつは違う、一歩進んだからこその不安がそこに顔を出しているのだな、と気づくんでしょう。

 

か。

 

わたしは抽象的なことがすきです。

理屈があろうがなかろうが、そんなの大したことではなくて、言葉では表せないような、もやっとしたりきらっとしたり震えるような美しすぎるいろを歌うのがすきです。なにを言っているのかわかんなくっても、べつにいいんだ、これはメモだ、しねばいいんだ、って思うんだけど…、

 

でも、まだ死なない。

生きてていいのであれば、とりあえずぐりとぐらみたいにおいしいたまごやきがつくれなくても、

わたしは死なないでいようとおもいます。

 

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